リスクを取るか、義理を捨てるか?
スマホの目覚ましアプリをセットしたはずなのに起きられなかった日、あなたならどうするだろうか?
けたたましい鐘の音が今日は聞こえなかった。
そのため1時間も寝坊し、大慌てで家を出た。
「今日はたまたま運が悪かっただけ」
そう思って流すこともできる。
明日はちゃんと起きれるだろう、と。
何事もなかったように目覚ましアプリをセットして眠る。
しかし、アラームが正常に作動したかどうかは分からない。
爆音が部屋中に鳴り響いていたかどうかは、証人者もいなければ、監視カメラもないため、誰にも分からないのだ。
今日はたまたま目が覚めて、会社に遅刻せずに済んだ。
でも次は寝過ごして遅刻するかもしれない。
アプリを消すか?
設定を見直すか?
「いや、消すのはまだ早い。」
私はアプリに信頼を寄せている。
そして今回のことは、きっと私の過失に違いない。
心配なら寝る前に試しにセットして、きちんと鳴るかどうか確認すればよいのだ。
そんなことを考えながら、通勤電車に揺られている。
ラーメン、ちらり。
「ラーメン大戦争」
思わず目に飛び込んできた言葉。
朝、会社に行く途中電車で、他人のスマホ画面がちらりと見えた。
その人が、スケジュールアプリに登録していたのが、「ラーメン大戦争」。
いったいどんな予定なんだ???
ラーメン大食い対決でもするのか?
そんなイベントがあるのか??
気になってググらずにはいられなかった。
調べてわかったことだが、どうやらラーメン屋さんの店名らしい。
写真を見ていたら、私もラーメンが食べたくなった。
ラーメン、なんて罪深い食べ物なのか。
脂肪と糖でできていると、脳ではわかりつつも体が欲してしまう。
これは東京に行ったときに、友達と食べたラーメン。
醤油味のスープと、塩胡椒がきいたメンマ、柔らかいチャーシューと煮卵の味は、今でも忘れられない。
ラーメン屋さんって割と多いし、ラーメン自体も身近な食べ物だと思う。
しかし、そのカロリーと一杯あたりの料金高さに、「特別がんばったときしか食べちゃいけない」みたいな気持ちになる。
「今日は自分を甘やかそう、たくさん頑張ったのだから!」
たまにはそんな風に、美味しく食べたい。
平和な世界で生まれ育って、今も心に"少女"が住み着いている。
大人ってもっと立派で凄いものだと思っていた。
「困ったことがあったら、周りの大人を頼るんだよ。」
幼い私に、母がよく言っていた。
ピアノ教室に電車で通っていた小学生時代。
例えば車内やピアノ教室までの道中で、誰かに何かされても
誘拐されそうになっても、怪我をしても
大人に言えば対処してもらえる。解決できる。だから大丈夫って。
そう思っていた。
それから15年経った今、私はその"大人"になった。
町を歩いていて、電車に乗っていて、偶然小学生が怪我をしたり
危険なことに巻き込まれそうになったりしたとき。
頼れる大人が私しかいない、そんなときに
私は瞬時に正しい判断ができるのだろうか。
見ず知らずのその子を守ることができるのだろうか。
子ども時代の私が一人でいるとき、危害を加える人はいなかった。
それはたまたま運がよかっただけ。今も昔も変わらず、平和ボケしている私。
ふとそんなことを考えた夜。
何かの本で読んだけど、人間って
してもらったことのあること、しか
人にしてあげることができない、らしい。
小学生で駅のベンチに絵具セットを忘れたとき、駅員室まで届けてくれた人。
高校の制服を着て道に迷ったとき、病院までの道を教えてくれた人。
就活生のとき、黒髪を一つに結び上下スーツで駅前のコンビニに行ったら、何も言わずにコピー機の順番を譲ってくれた人。
今の私にできることは、これくらいかもしれない。
将来、息子か娘を持ったとき、もう少し今よりも大人になれているかも。
そんなことを考えながら、今日もコーヒーを淹れる。
ミニマリストになるのが夢だけど、推しのためなら、さ。
「お金が溜まりやすい人の部屋には物が少ない」とを聞くが、あれは割と核心をついているなと感じる。
「物を増やさない」こと。
それは単に「物を買わない」のではない。
「物を一つ買ったら、一つ手放す」ということ。
そうすることにより、手元に「自分に必要な物しかない」という状態にしておく。
私は断捨離が苦手なタイプだ。
お気に入りの靴・洋服・親から買ってもらった物、人からの贈り物など、愛着があるからなかなか捨てられない。
だから、目新しい物に出会った際、即座に脳内会議が始まる。
それらを手放してもいいと思えるくらい、欲しいと感じるのか否か…。
買う代償として、自分の持ち物から何を手放すのか。
可決された場合にのみ購入し、速やかに処分する。
これを習慣にしてから、部屋が物で溢れることもなくなったし、何より浪費しなくなった。
まぁ安いし可愛いから買っておくか…という「とりあえず消費」をしなくなった。
憧れのミニマリストへの第一歩だ。
あとは、、、、
脳内会議からは除外され、ライブごとに一向に増えていく「オタ活グッズ」をどう管理していくか…考えるだけで頭が痛い。。。
やはり推しのグッズを一つ買うごとに、私物を一つ手放すしかないのかと
頭を悩ませつつ、今日も推しグループのDVDを見ながら現実逃避をするのであった。
コロナになって人間を辞めかけた女の話。
5日ぶりに自室から出て、シャワーを浴びた。
シャワー室から出て鏡を見ると、10年ほど刑務所にいたかのよう
生きるのに相当疲れたかのようなやつれた顔をした女。
それほどまでに私は、自分の顔がどんなものだったか忘れてしまっ
まぁ無理もない。高熱に襲われ半分気を失いかけていたのだから。
朝、9時過ぎに起きて、社内チャットで休みの連絡を入れる。
理由
やはりこの時期だからか「今の状態を教えて欲
送った文章をコピー&ペーストして、言葉尻を少し変え、淡々と送
するとみんな決まって、お大事にと返信が来る。
今わたしが生きていられるのは、母のおかげである。
父も急遽会社
食べたいものをオーダーすると自室まで持ってきてくれる。
接触はできないので、扉の前に置いて下へ降りる。
その音が聞こえ
家族の優しさに触れる度に「私は一人暮らしができない人間だ」と感じる。
父と母の元から自立はできても、一人で住むことができない女。それが私。
自分の身に起こってしまったことはもう変えられないから、未来の
そんなことを考えながら、今日も惰眠を貪っている。
全ブロガーさんは私の師です。
前書き
ブログを始めた頃の私は、とにかく何でもいいから「中身のある話」をしようという意思が強かった。世の中の人に自分の書いた文章を読んでもらって、少しでも前向きな気持ちになってほしい、なんて考えていた頃もあった。(今から思えばかなり図々しい。穴があったら入りたい。)
しかし、最近は少し考えが変わった。
それは、ほかの方のブログを読むようになってからだ。
それまで『書く:読む』の比率が8:2だった自分が、ほぼ逆転してきたころ
自分の中にある思考の変化が生まれたので、忘れないようにここに書き起こしておこうと思う。
・どのように思考が変化したか?
⇒「A.役に立つ情報を発信するブログこそが至高だ」という思想から
「B.日常を書き綴った日記のようなブログもまた、ためになる」という思考へと変化した。
・なぜ変化したのか?
⇒ブログを読む楽しさを知ったから
・その楽しさとは?
⇒下記参照(なお、これ以降の『ブログ』に対する定義は、B.日記系ブログとして読み進めていただけると大変ありがたい。)
①いろいろな人の人生の一部を、リアルタイムで覗き見できるところ
これまで読んできたものの中で特に印象に残っているものといえば・・・
無職になったサラリーマンの方、人生で初めて恋人ができた方、買ってきた苺をタッパーに詰めて毎朝冷蔵庫の扉を開ける度に春を感じられている方、など!
いろいろな人のブログを読んでいる中で
「その人にしか体験できないことや心情が知れるということは
自分の視野が広がったみたいで凄く楽しい。」ということに気づいた。
もともと読書をすることが好きなので、感覚的には似ているのだが
本は著者が書いてから本屋に並ぶまでに、どうしても時間がかかってしまう。
その反面、ブログはリアルタイムで読めるし、季節を感じられる内容のものもある。
まさに文明の成せる技ですね(急に大規模)
②仕事にも役立つところ
自分の視野が広がった、ということを①で話したのだが
これが最も欲していることであり、仕事上で必要なことでもある。
私はライターの業務を請け負っており
読み手の生活や心情、深層心理を想像しながらテキストを書くことが求められる。
自分とは違う価値観や生活観を持っている(かもしれない)相手を説得するには
まずは自分が相手の生活を知ることが大切だと感じる。
そのための材料として、日常的に交わりのない人の声をブログを通して読み取れるのは
かなり貴重だと言えるのです。
①で述べたことを例に出すと、「この人は冷蔵庫の苺の香りから春を感じるんだ」とか
「恋人との甘酸っぱいエピソードとか」「無職になった人がとる行動はこんなものがあるんだ」とか。
(一歩間違えると自己顕示欲や不幸自慢かと思われてしまう内容でも、嫌味なく読めてしまうのはその方の文章力や配慮に尽きるものだと、とても勉強になる)
※最後に・・・自分自身の好みについて
私はもともと「媚びない文章」が好きだったりする。
何かを買わせようとか、こういう思想を広めようとか、そんな意図が透けて見えると興醒してしまう(某"映える系"SNSでは最近そういう流れが来ていて、見るのを控えている)
纏め
自分の書いた文章を、見ず知らない人が読んで共感してもらえる
逆もまた然りで、素晴らしいことだなぁと感じている。
これからもより多くの方のブログを拝見し
「読ませてくれてありがとう」の気持ちをもって”スター”を押していきたいなと思う。
そして、自分のなんでもない日常もまた、誰かにとって脳の刺激となり
それもそれで面白いと感じてもらえるかもしれないと思った。
「ブログを書く」という行為そのもののハードルを下げる良いきっかけにもなったので
これからも自分のペースで更新していきたい。